厳しすぎるルールや「空気を読むこと」が自己否定を生む—元教師が考える不登校の背景【日本の学校教育③】

私たち親の時代は、学校に行けない子ども達と言えば、「いじめが原因の登校拒否」、という認識が多かったように思います。しかし、原因は他にもたくさんあることがわかってきました。息苦しい閉鎖的な学校社会で自己否定を強いられて苦しんでいる子ども達。彼らの苦しみを生む背景と、そんな彼らに親はどう向き合えば良いかを考えます。

学校へ行かない原因――実はいじめはごくわずか


私自身も仲良くしていた友達から、ある日無視され、その後、クラス中の女の子から無視されるようになったことがありました。原因は、「お姫様ぶってる」ということだったらしいのですが、その時も今も一体何のことだったのかさっぱりわかりません。無視されているときは、もちろん学校には行きたくありません。
朝になるとお腹が痛くなります。でも、学校を休むとは親に言えず、嫌々登校していました。学校を休んでも良い、という選択肢が当時はなかったような気がします。それでも一日休めば、休んだ翌日、学校に行きづらくなるのも事実で、つらい思いをしていたのを今でも覚えています。
その後、私はそのいじめを親に話したり、先生にも話したりして、解決することができました。始めは「先生に言いつけた」と因縁をつけられたりもしましたが、そのうち自然と無視は収まり、普通の生活に戻ることができました。
「登校拒否」という言葉は、今は使われなくなり、病気やケガ等特定の事由がなく一定期間欠席した状態を不登校と言います。私は、この不登校を自身の体験もあり、ずっと、いじめが原因だろうと勝手に思っていました。ですが、驚くことに文科省の調査によると、「不登校になったきっかけと考えられる状況」のうち、「いじめ」は中学校で2.1パーセント、小学校で1.9パーセントに留まっているということです。(ウィキペディアより)

「ルール」に束縛される子ども達


実際、私が勤務していた中学校で遭遇した不登校についてご紹介したいと思います。  まず、圧倒的に不登校になりやすいのは、中学一年生です。小学校を卒業して、急に今までとは全く違う環境になります。日本の中学校では、とにかく、「しなければならない」ことに縛られます。明らかに行き過ぎでは?と思えるような厳しい校則もあります。
ハンカチを持って来なければいけない、ということから、爪を切らなければいけない、忘れ物をしてはいけない、宿題をしなければならない、提出物の期限を守らなければならない、等。小学校から更に一層「ルール」が厳しくなります。
「しなければならない」ことができないことにより、段々と自己否定に陥り、自分で自分に「ダメな人間」のレッテルを貼ってしまい、学校に行くことができない状態になってしまう子もいます。  みんなはやっているのに僕だけできない、と。私は、この「しなければならない」ルールがとても窮屈で嫌いでした。もちろん、宿題等しなければならないことはする必要があるでしょう。ですが、私は宿題をしない子に対して、叱ったりすることはありませんでした。毎日宿題をやる、というルールはありますが、しなかったからと言って、どうなるものでもありません。きちんとできる子は学力が伸びる、できない子は伸びないというだけの話なのです。
やるかやらないは自己責任。そのことで、過剰に叱られたり、罰を与えられたりすることは全く無意味で、してはいけないことだと思うのです。中には、見せしめのようにできない子の名前を黒板に書いたり、晒し者にしているケースもあります。そしてそのうち、できないレッテルを貼られた子は、自己否定へと追い込まれていきます。
自分はダメなんだ、他の子ができることができないんだ、となります。みんなが同じである必要はありません。自分がやらないと決めたらやらなくても良い。大切なのは、その結果に自分で責任を持つこと。極端な話、僕は勉強をやらない、と決めたなら、やらなくても良いのです。全然勉強ができなくても、卒業はできます(笑)。
勉強が苦手なら、それ以外に何が強みなのか、何がやりたいのか考える。そして、周りがそれを応援できるといいのですが、何でも「まずは勉強」の傾向が日本では強過ぎるように思います。

「空気を読めない」子は異端児扱いに


そして特に大きいのは、「空気を読まなければならない」ということ。日本社会では、この「空気を読む」ことができないと、段々自分が正しいはずなのに、なぜいけないのか、というジレンマに陥ったり、こうした葛藤が原因で、極端な子だと精神疾患になってしまったりすることもあります。正義感の強い子ほど、「なぜ自分が正しいのに認められないのか」と悩み、そのうち人間不信、学校不信になり、不登校になりがちだったりします。
周りに合わせられる子、協調性のある子が、学校では求められています。その結果、個人の才能を伸ばすことが妨げられてしまっているようにも感じます。空気が読めないと日本では生きにくいですが、欧米では逆です。自己主張ができないと評価は下がります。
ドイツでは、いかに自分の意見が言えるか、発言できるか、が重視されます。こちらにずっと住んでいる日本人の子どもは、どんな時でもしっかり手を挙げて自己主張している場面を見かけます。日本社会では否とされることが、ドイツでは当たり前なのです。
これからの時代、周りはどうか、ではなく、「自分はどう思うのか、どうしたいのか」という考え方はますます必要になってきます。自分の道を自分で選んで生きていくためには、まずはこの「空気を読む」という風潮を変えていくことがとても大切ではないでしょうか。

何でも「競争」を求められる環境

そしてもう一つ。子ども達が心から楽しめない理由に「競争」があります。テストに始まり、持久走大会、音楽コンクールなど、何かにつけては競争、順位付け、が行われます。この場合、どうしても周りと自分を比べてしまう形になります。
“これまでの自分”と競争する、というスタンスでいるのと、周りにいる誰かよりも、というスタンスでいるのとでは、考え方や目指すものは大きく変わってきます。もちろん、みんなで手を繋いでゴールする、ということではありません。 みんな違う、ということを前提にし、みんながそれぞれの生き方、目標を目指し、それぞれのペースで前に進んでいく、ということができたら、学校生活も大きく変わってくるように思います。

なぜ学校へ行くのか、を子どもと一緒に考えてみましょう


不登校の理由の多くに、総合失調症、うつ病などがありますが、この原因は、自己否定から始まるものが多くあります。人と違うことは決して悪いことではありません。ちょっと変わった子、浮いている子、そういった子のほうが内に秘めた才能を持っているものです。そんな才能の芽を潰しているのが今の学校教育かもしれません。
人と同じことができる子、ルールを守れる子でないといけない、という暗黙の了解が、今のこの不登校児たちを生み出している原因だと私は考えています。息苦しい閉鎖的な学校社会から変えていかなければ、学校は子ども達にとって、息苦しいだけの場所になってしまいます。
なぜ、何のために、学校に行くのか。 今の時代、「行かない」という選択も可能です。行かない選択もできる中で、なぜ行くのか、ということを、親や先生も子どもと一緒に考えていくことが、子ども自身が「どう生きていきたいのか」ということについて考えるきっかけになるのではないでしょうか。
kathy@Germany
今回のライターのkathyさんは、英語の非常勤講師をしていました。「英語に関しては塾は必要ない」という考えを持っています。その理由は…?下記記事もおすすめです!

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